イズミズム -日記版-

地域活動家やライターとして活動する泉光太郎の日々を綴る日記ブログです。発信分野は問わず発信します。少しでも僕のブログを通して地域や社会について一緒に考えていけたらなと思います。ぜひお読みください。

哲学を見つめ直す~東洋大学立て看板騒動から~

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どうも、イズミです。
今日はいつもの日記より予定変更をした話題を書きたいと思います。

2019年1月22日㈫、僕は地元横浜離れて、山形の自動車教習所で免許合宿中でした。
特に話す友人もいるわけでもなく、教習後、TwitterFacebookの何の意味もなく画面をスクロールしていたらTwitterで、こんな記事を発見をしました。

news.yahoo.co.jp

いつも見る僕が通っている東洋大学の8号館がサムネに入り、タイトルには「竹中平蔵の講義に反対」と書いてありました。
小泉政権時に総務大臣として活躍して、郵政民営化を推し進めた政治家兼学者の竹中平蔵のこと。

竹中平蔵教授のプロフィールをさっそく調べてみました。

www.takenaka-heizo.com

www.toyo.ac.jp

人材派遣会社であるパソナの取締役会長をはじめ、様々な企業や財団の経営陣となっている傍ら、2016年からは東洋大学国際学部教授となり、同大学のグローバルイノベーション研究センターのセンター長も務めている、いわゆる同大学の名物教授ですね。
僕も前に友人が竹中教授の前でプレゼンをしてフィードバックをしているところを覗いたこともあるが、秘書らしき人が「竹中先生は時間がないので発表は手短にお願いします。」みたいなことを言いながら仕切って、竹中教授がフィードバックをする拍手が起きる感じで、他の教授と明らかに待遇が違うように見えた印象に僕には見えました。

今回の事件は東洋大学文学部哲学科に通う4年生である船橋秀人さん(23)が同大学白山キャンパスにて、竹中教授の講義前の時間に教授批判の立て看板やビラをまいたことで、同大学の学生課職員5~6人による撤去指導と約2時間に及ぶ事情聴取後、大学としては偉大なる教授に対する誹謗中傷、また「本学の秩序を乱し、その他学生に反した者」など退学に関して規定された学則第57条に反したことから『退学処分』を示唆するような発言を彼にしていたことがわかり、炎上したもの。

事件の内容については主要記事を集めてみましたので、こちらをご参考ください。

news.careerconnection.jp

blogos.com

www.nikkansports.com

 

この件が明らかになったのは船橋さんのFacebookでの投稿

[http://]

 ここから東洋大学には船橋さんの退学勧告に関する抗議の電話が殺到したようで、船橋さんも退学勧告されたことについてはSNSやマスメディアでも報じています(上記のメディア掲載)。

ちなみに東洋大学23日に声明文を出し、船橋さんの処分について、退学にはしないとコメントをしています。

www.toyo.ac.jp

船橋さんも文学部哲学科4年生で、今年3月に同大学卒業するそうで、そんな僕も同学部教育学科を同じく卒業予定だ。

文学部の同期として、僕がこの事件を目にした時、最初は哲学科の学生とは思えない浅はかなアクションだなと思いました。彼だけではなく、大学側の対応も極めて稚拙なものだと僕は考えています。

[http://]

[http://]

 

こんな投稿をしていたら、質問箱にこんな投稿も来たのでこう返しました。

どうやら、今のところ過熱しているのは船橋さんの行動を称える、竹中批判をするアンチっぽいようですね。

それにしても僕はなぜ彼がこんなアクションしたのかが疑問でもありました。
ちょうどその時に最新記事が上がっていたので読んでみた。

headlines.yahoo.co.jp

なるほど、彼自身は竹中批判をする左翼とかそういう人間ではなく、ただ彼が所属する哲学科の現状から大学の組織問題の指摘をしたいというものだったことがわかる。
記事にも書いてあることだが、東洋大学国際化を進め、2014年に文部科学省からスーパーグローバル大学に認定され、竹中氏が教授に就任した2016年以降、さらに国際化を加速した大学側が、1887年に「哲学館」として開学した際から専門分野にしてきた、哲学科を統合再編するなど縮小に向かっているについて船橋さんは疑心を抱いていた。哲学科の縮小により、ゼミや授業の運営について、哲学を学びたい気持ちで入った彼にとっては不満があるものだったため、その改善を促すために東洋大学のグローバル推進の第一人者である竹中教授の批判に走った。

 

さて、ここからが本題。

 

彼が抱いている疑問については少し違う角度になるが、教育学科の僕自身も2年前くらいに感じたことがあります。彼はどちらかというと環境的要因に関する不満であるが、それに加えて僕が感じたのは大学の授業の学生層・教授層の変化です。
僕が大学に入ったのは2014年。
つまり、東洋大学文部科学省が主催するスーパーグローバル大学に採択された年。
僕が入った当初はまだ哲学教育には力を入れていて、教育学概論も哲学をベースにした読み物を学生と教授で読みあい、考えることに重きに置いた授業があったり、学祖である井上円了の教育理念基づいた特別プログラム「井上円了哲学塾(現:井上円了リーダー哲学塾)」 も学内外問わず開講されていて、哲学に重きにおいた大学教育がされていたのではないかと考えています。
しかし、変化を感じたのは2016年。竹中教授が就任した年だ。
2016年から一気に東洋大学は留学プログラムや奨学金の幅を広げたり、語学学習に関するサービスが増えた。それもそのはずでこの年から竹中教授が率いる国際学部グローバルイノベーション学科の新設され、新たな学生が入ってきたため、大学としてはグローバル人材育成にための環境整備したかったのだろう。
グローバルイノベーション学科の特徴としては専門分野などは特に設けず、幅広く自分の知見を広げ、そこから探求したい問題を探し出していく、いわゆるリベラルアーツ型の教育である。そのため、教育に関心ある人は教育学科の科目を受けられるし、興味があれば学科を横断して受けることができるしくみ。
一見良さそうなしくみには見えるが、実はこれには落ち度があります。

それは「学びの深さ」の問題。

例えるなら、アニメに詳しいオタクとにわかファンが同じアニメを見た時の感想の違いがあるといったところだろうか。
国際学部のようなリベラルアーツ型の学習する人は基本的に「関心があるもの」がベースとなるためにいわゆる業界少しかじれば満足なのです。(違う人がいたらごめんなさい。)

実際に僕がある教育学の授業を受けていて、先生から「隣の人と『体罰の要因』についてディスカッションしてください。」と言われ、隣の国際学部の学生(確か女子学生)に話しかけたら「私、英語を話すために大学来てるので、教育学は話だけ聞ければ大丈夫なんで(笑)」と言われて唖然したことがあります。いや、英語話せるようになるだったら400万もかけて大学に必要ねぇだろと思い、勝手に頭のなかで怒り狂った覚えがあります。

リベラルアーツの弱点は学べる幅は広い分、専門的に深めるのが難しい点です。

特に哲学のような学問というのはおそらく僕が考えるに、色んな古典を読む中で議論をして具体と抽象を繰り返して自分の思考や専門分野を時間をかけて深めていく学問です。なので、大人数の講義よりどちらかというと少人数でやることの方が望ましく、哲学を専門にする人はいわゆるオタクタイプの人間が多いと学問に近い。しかし、考え方を考えるという哲学を外から見ると何か自己啓発的なものやっているっぽい感じがするのが、おそらく国際学部の学生さんには多い傾向なのかなと思います。

また、今回の件では哲学の統合再編に関して、船橋さんも本来少人数であるはずのゼミが大人数での運営になってしまい、学問を思うように深められなかったりする。そして、リベラルアーツの波により、彼らの理解度にも先生たちが授業のレベルを合わせないと、最近ではファカルティディベロップメントという大学の授業内容の評価と改善も整備されてきたため、どうしても専門を深めたい人にとっては難しい環境になってきたのかなと僕は思います。いわゆる大学の大衆化ってやつです。誰にでもわかる講義をするのが良いという教育風潮の現れですね。

もちろん、国際学部の学生がすべて悪いという訳ではなく、これらの原因としてはやはり彼が主張する大学の組織編成に問題があるのかもしれません。国際化を進める中で、特に伝統ある文学部の教育環境への予算などの配分がないがしろにされてしまい、記事の中でもあるように哲学科の統合再編が起きているんでしょう。

彼が哲学を専門的に学びたかった気持ちがよくわかってきました。

僕も東洋大学に入ってまず学ぶならどの学部でも、オススメするのは学祖井上円了の哲学です。しかし、井上円了の理念をもとにした教育がグローバル人材育成を目的にしたものになりつつあるのが今の状況です。

彼はこのグローバル化の迫り来る波に対して哲学教育の重要さを説きたかったのではないでしょうか。

そもそも東洋大学がどのような大学を簡単に説明しようと思います。

そもそも東洋大学は学祖である井上円了がすべての人に哲学を学んでもらうために哲学館をという学校を作ったところが始まりです。

井上円了本願寺の留学生として帝国大学に入りそこで仏教について学んだ後、哲学を学び、世界を周遊して西洋哲学と東洋哲学を組み合わせた日本主義の哲学を編み出し、日本でその普及をしたいわゆる日本の哲学を広めたパイオニアです。

僕は先ほど少し紹介した井上円了哲学塾の4期生として学祖の哲学に触れてきました。現在は学部生限定のプログラムになってしまいましたが、竹村学長や福川理事長など東洋大学の代表する教授たちと学びを深めることができる贅沢なプログラムでした。

僕がここで学んだのは哲学をベースにした日本人として誇りやビジョン、考え方といったものです。これを福川理事長は「ジャパナビリティ」と呼んでいます。

そうした考え方はきっとグローバル推進していくなかでも必要になってくるものではないでしょうか?

僕も海外に出たとき感じたのですが、海外の人が求めているのは、英語が話せることや異文化理解する力ではなく、その人が生きてきた中でのバックグラウンドからにじみ出る価値観や誇り、ビジョンだと思いました。例えそれがぶつかり合っても最後は「お前のその考え好きだよ!」ってなって握手するみたいになります。

それにただ英語話せてすぐに異文化に順応する人間は差別化できないくらい、いくらでもいるだろうし、なんならAIの方が上に来ると僕は思っています。

じゃあ、人間にとってできることとは何か?

それは物事を考えること、イメージすること、物事を組み合わせたり、切り離したりする創造力ではないでしょうか。

哲学は物事の考え方・捉え方を考える学問です。

たぶん、哲学に関する思考の深さなら僕より船橋さんの方があるかと思いますが、こうした力というのはグローバル人材として活躍するために必要なスキルだと思うので、国際化進める上でも、グローバルなフィールドで活躍したい人にも学んでもらいたい一つの学問だと思っています。

東洋大学の国際化をするのなら学祖が描いた哲学や理念を海外により発信してもらうためにも、英語での井上円了の伝記を読む科目があってもよいのかなと思います。そうすれば哲学も英語もできると思いますし、哲学を深めることで、洗練された日本語から英語を作り出すことも可能だと思います。

東洋大学における哲学教育のプライオリティが下がってきている今、大学の国際化を目指すなら語学力もそうですが、今まで先人たちが築いてきた哲学館から東洋大学までの歴史をしっかりの引き継ぎ、日本主義哲学を世界に発信していくのも東洋大学の一つのミッションだと僕は考えています。

 

今回の一件は立て看板やビラのばらまきなど、学則にある禁止事項を強行した浅はかなものではありましたが、船橋さんが考える哲学教育の拡充については私は賛成です。

ただ、もう少し哲学を専門にされているなら大学側や竹中教授と深い議論ができたのではないか考えています。

大学側もせっかくこんなに大学に誇りを持ってくれている学生に対してすぐに退学勧告を振りかざして、学生より偉い教授を庇いにいってしまうのはとても残念です。

 

僕はこの事件を機に東洋大学の教授、経営陣、学生、OBOG そして、今まで東洋大学を作ってきたすべての人たちが一つになり、東洋大学の未来を考える時ではないかと考えています。

 

「諸学の基礎は哲学にあり」

 

学祖井上円了の理念のもと、もう一度哲学で我が母校を見つめ直してみませんか。

 

おわり