誰にでも「わかりやすい」ではなく「考えられる」メディアを作ろう。
どうも、イズミです。
今日は午前中は家で合宿先から届いた荷物の整理や洗濯物をして、午後からは都内で作業をし、夜はとあるイベントに参加してきました。
そのとあるイベントは株式会社ZEPPELINが主催するメディアに関するトークイベント。
テーマは「フェイクニュース時代のメディアの生き方 〜これからメディアは何を担うのか〜」で、講師は有名ジャーナリストの佐々木俊尚さん。
よくジャーナリズム誌などで目にしていたが、生トークを聞けるのは今回が初めて。
4月から新聞記者として働く自分としては学ぶべきところがたくさんありそうだと思い、参加。
トーク内容はZEPPELIN のPRチームのスタッフと佐々木さんによるもので、主にメディアの戦後から平成(今まで)を振り返っていくものだった。
その中でも最近は新聞やテレビといった硬派のメディアは若者からは敬遠され、インターネットにあるwebメディアやSNSのタイムラインにあって、文体も親近感が湧くような「わかりやすい」メディアが受け入れられていることと、それによってインターネットコミュニティが柔軟な共同体となり、会社や地域といった硬い共同体の代替可能なものになっていることで、メディアというものが情報手段をとるための媒体から共同体を維持するための文化的なものになっているということが主な話となった。
確かにインターネットが人々にとって便利になったのはいいことだが、最近僕が考えたのはインターネットが人々から思考を奪っているのではないかということだ。
考えるためのツールとしてのインターネットであるはずが、最近は情報というそのまま鎧や武器をモンハンのように装飾しているため、インターネットというものに人々が振り回された結果、情報洪水と言われるようになったのではないかと思った。そこで僕は
「先ほどメディアが文化だと言ったが、メディアを「考える」ツールとして人々が再確認するためには何が必要か?」
と質問を佐々木さんぶつけてみた。
そしたら佐々木さんは
「すごくいい質問なんだけど、これは難しいテーマだよね。インターネットメディアはわかりやすいとは言ったけど、それはただの問題の単純化と違って読者の横に立って解説できる共感できる文章ができている。だからわかりやすい。逆に新聞は読者に対して上から届ける書き方をしているから硬派な人にはウケるけど、よくわからない若者には敬遠されがちなんだよね。俺も新聞記者からネットメディアに転じた時それをすごく感じたよ。質問についてメディアを考えるためのツールにしていくためにネットメディアに対して「これはゴミだ!」とかいう偏見を外してまずは読んでみることかな。よくコメンテーターとかが、インターネットメディアはゴミだとか言っているけど、それはその人がごみ溜め見たいなところしか見れていないからそうなるわけであって、俺はそれは違うと思う。しっかり丁寧に読ん比べたりすると、意外な一面が見えてくるからインターネットにも考えることができる良質な読み物はたくさんあると思う。ちょっと当たり前の話にはなったけど(笑)」
インターネットメディアにはわかりやすさ単純化ではなく親近感が強みで、紙のメディアは硬派な考えによって生の情報に触れられる。なるほど。
こうなるとメディアを考えるためのツールにしていくためにネットメディアというのはある種入門的なところになるかもしれない。そこから良質な読み物に繋げていくためにどうすればよいのかと自分は考えた。
地元でローカルwebメディアの開発を進めているが、webメディアの強みは先ほども書いたように読者の側に立って、親近感のあるものにすること。そこから考えるための材料を読者の脳内に生み出すような記事を作る。
地域の問題をもっとフランクで、日常的なものにもっていくことは若者の地域参画には欠かせないポイントだろう。
自分も新聞記者という立場もあるが、若者に読まれる読み物を作りたいという気持ちもあり、あえて新聞業界に飛び込んだわけだ。
ただ「わかりやすい」では終わるのではなく、その先にある地域の課題解決や魅力発見を「考えられる」メディアを作るのが栄区での僕の役割だ。
最後にお知らせです!
本日25時からラジオ日本の「ハマビジ!」に出演しますので、ぜひ聴いてみてくださね!
今日の深夜にラジオに出ます😆📻
— 泉 光太郎@横浜市栄区地域プロデューサー (@kochan19951008) 2019年1月30日
パーソナリティーやってみたかったから一瞬叶ったわ✌️
そして、アシスタント貴田さんがかわいい👍 https://t.co/Gjx9EfUDlA
おわり