小さな声に耳を傾け眼差すこと
どうも、イズミです。
喉の痛みも無事治まり、今日は夜から外に出て走ってきたところです。
しばらく体を動かしていなかったので、今日はすごく体が重く感じていて、一刻でも早く元に戻したいところです。
さて、今日は最近読んだ本の中でも、特に学んだことを書いてきたいと思います。
今回、読んだのはジャーナリストの伊藤詩織さん著作「BLACK BOXブラックボックス」です。
話の内容はジャーナリストとして活動していた伊藤詩織さんが就職予定をする某テレビ局のプロデューサーにレイプをされたことから、レイプがあったという告白から彼を逮捕をするために捜査し、日本ではまだ被害届による事件として取り上げづらいとされていたレイプ問題について立ち向かっていくというものだ。
ご存知の通り、昨年にレイプやセクハラ被害にあった女性たちが声を上げた「#MeToo」が海外で流行り、日本の#MeTooの発端は彼女といえよう。
最近は、僕はジャーナリズム関係か現代社説の書籍を読むことが多く、著者やこの本について前からずっと読んでみたいと思っていたので、みなとみらいの丸善でたまたま見かけたので購入した。
レイプやセクハラなどの女性問題についてははニュースやワイドショーを見ていても、前よりセンシティブなものと捉えられてきていて、そう簡単には言及できない問題で、男である自分がどこまで考えて発言していいものなのかがわからないため、社会学のゼミにいながらもこの問題は少し敬遠がちではあった。
しかし、本を読み進めていくと、もちろん話の流れはその事件が問題化されるまでに筆者が向き合い続けた話がメインではあったが、これからのジャーナリストや社会活動家の指針となるものがたくさん詰まっていた。
その中でも印象的だったのが、現在日テレ記者で今まで圧倒的な取材力で警察の捜査への欺瞞や組織を守るための隠蔽などを暴いてきた清水潔さんとの出会いだ。今まで彼女は信頼を寄せてよいのかという疑問を警察や弁護士に持ちながらも友人の支えもありあがらこの事件と向き合った中で、ようやくで出会えた心強い助っ人であり、彼女のジャーナリストとして、被害者としても大きな励みになったんだと思う。
そこで得た学びは
「小さな声にこそ耳を傾け、大きな声には疑問を持つ。何のために何を報じるべきなのか、常にそのことを考え続けたいと私は思う。」
(本書一部引用)
という伊藤さんが心に残ったの清水さんの言葉だ。
政府やトップが言ったことを横流して報じるだけでは「考えるべき問題」は世の中には根づかない。報じることで世の中の人がそれについて考えることができることが報道の価値ではないかと僕は考えることできた。
また現在、伊藤さんは自身の問題とは向き合いながらも世界中でレイプ被害者の声を聞いたり、自身の経験を伝える活動している。
自分に起きたものを沈黙として終わらすことではなく、しっかり声を大にして小さながらも伝えていくことは恥ずかしいことではなく、むしろ、平穏な日常を取り戻していくことに対する意思表示だと私は思うし、「被害者A」ではなく自らの名前としてそこにあった事実を信じて訴えていく姿勢も、多くの人に勇気を与えるものだから僕は見習いたいし、彼女の今後の活動も応援をしたい。
僕も一度決めたもの離さないくらい、耐久戦にはめっぽう強い人だと思っている。
他人の目や空気とかもお構いなしに違うものは「違う」としっかり言うようにしている。
ただ、自分が信じているものと本当にある小さな声を持つ当事者との感覚の距離というのも考えていかなければならない。事実というのは多面体的なもので、100人が見れば通りの答えが出てくる。小さな声の当事者もなんでも報じらればよいという問題でもない。これはジャーナリズムじゃなくても、ボランティアや地域コミュニティや教育でも同じことが言える。
今、必要なのはその人が信じているものや夢中になっているものに対する「眼差し」ではないだろうか。支援や報道以前にそれについて考えた方がいいと僕は思う。困っている人、自分が今必死になっている人がまず求めているのは支援や解決策や理解ではなく、「そういうのがあるんですね。」という認知、つまり眼差しだ。
自分は、今、その人に対してどんな眼差しを送っているのだろうか。
病床でそんなことを考える3日間であった。
おわり